2022年7月3日日曜日

NHK映像の世紀「キューバ危機 世界が最も核戦争に近づいた日」:地球は60年前に宇宙から消えて亡くなっていたかも知れない

映像タイトル「キューバ危機 世界が最も核戦争に近づいた日」

NHK映像の世紀「キューバ危機 世界が最も核戦争に近づいた日」を観ました。

これは現実に起こったことです。
 私たちはこの危機が進行している間、モスクワで開催された、62年第4回世界選手権で『東洋の魔女』と呼ばれた日本の女子バレー選手たちが、ソ連を破り優勝を飾ったことに、歓喜していました。地球が吹っ飛ぶかもしれない危機にあることも知らずに・・・。 

 ロシアのウクライナ侵攻以来、日本で急速に高まっている議論に先制攻撃論というものがある。 これはロシアのプーチンがウクライナに対する核の攻撃をちらつかせることを受けて、日本においても、防衛力の強化とともに打ち出されている議論である。

 このような状況の中でこの NHKプラスの映像(2022年7月5日から、オンデマンドの有料になる)を見て、今盛んに叫ばれている先制攻撃なるものがいかに危険なものであるか、深く知ることができた。
  この映像は1962年にケネディ政権下において勃発したキューバ危機に直面したしたアメリカ政府の苦悩 が実際の映像に記録されている。当時、特にアメリカの軍部の中にはキューバのミサイル基地が完成するまでに徹底的に叩きせ、キューバを捻りつぶせという強硬論が優勢であったが、世界の核戦争まで到達するかも知れないという リスクは軽視されていた。

 しかし戦争を回避し、海上封鎖と言う手段に訴え、結果的にはそれが戦争を回避し、ソ連の譲歩をかろうじて引き出すことができた。 もし、アメリカが安易に戦争に突っ込んでいたなら今の地球はなかっただろう。

   そのことを考えると安易に敵基地攻撃あるいは戦争に訴えるいうこと厳に慎まなければならないと考える。
 そのことを踏まえ、日本の国民全員が現在の世界情勢を冷静に行動し、戦争を徹底的に避けるためにはもう一度立ち止まって考える必要がある。

映画の紹介
 1962年、人類は全面核戦争の危機に直面した。アメリカの偵察機がキューバに建設中のソ連のミサイル基地を発見、完成すれば全米の主要都市が核弾頭の射程に入る。先制攻撃を叫ぶ軍部に立ち向かったのは、若き大統領ケネディ。その決断を支えたのはコードネーム「HERO」と呼ばれたスパイの命をかけた情報だった。ホワイトハウスで密かに録音されていた最高幹部会議の肉声を中心に、世界が最も核戦争に近づいた13日間に迫る。
『映像の世紀 公式紹介文』より







映像データ
6/27(月) 午後10:00-午後10:44 放送
 語り:山田孝之;

この記事はNHKプラスで放映された記事を参考にしています

     【「キューバ危機 世界が最も核戦争に近づいた日」】 ☜ こちらをクリックしてください。
       7月5日からはオンデマンドで鑑賞できます。


キューバ危機の成り行き
序章
 キューバでは戦前から反共独裁のバチスタ政権に対する、革命運動がおこっていた。
 1959年の元日、バチスタはキューバを脱出し、独裁者のラファエル・トルヒーヨ率いるドミニカ共和国へ亡命した。その後政府軍の将軍カンティーヨが「臨時政府」の成立を宣言したが、カストロはこれを認めず革命軍はハバナを制圧し、1月8日、カストロがハバナ入りし、名実ともに革命軍の勝利が確定した。2か月後にはカストロが首相に就任した。
 当初カストロは「アメリカ合衆国に対して変わらず友好関係を保つ」と表明し、早くも4月にワシントンD.C.を訪問しアメリカ政府に対して友好的な態度を見せるとともに、革命政権の承認を求めた。

 カストロはアメリカ大統領との会談を求めたが、当時のアイゼンハワー大統領は徹底的に冷淡な態度をとり会談を拒否し、カストロは打倒すべき政権として憎むようになる。 キューバ危機はこの時点が出発点になったと言わればならない。

 当然の成り行き
 アメリカに無視をされ敵対的な態度を取られたカストロは急速にソビエトに接近するようになったのは当然の成り行きであった。
 しかしこの時点ではカストロはまだアメリカと敵対的な態度をとるつもりはなく友好関係を維持したいと考えていた。

 当時のキューバ国内にはユナイテッドフルーツと言ったアメリカ資本が数多く存在し、キューバの経済を圧迫することにもなった。

 1960年1月にはユナイテッド・フルーツの農地の接収を実施したほか、2月にはソ連のアナスタス・ミコヤン第一副首相のハバナ公式訪問を受け入れ、ソ連との砂糖と石油の事実上のバーター取引や有利な条件での借款の受け入れ、さらにソ連からの重火器類を含む武器調達の取引に調印した。このことはアメリカとの関係を決定的なものとし、必然的にアメリカとの緊張関係は激化を一途をたどった。

この歴史的な場面に登場する主な人物は下記の通り
  •  ケネディ:アメリカ大統領、キューバ危機のあと1年後にダラスで暗殺される


  • フルシチョフ:スターリンの死後、スターリン批判を展開した。キューバ危機の時にはソ連の第一書記で、 最高責任者。修正主義者として、社会主義を逸脱させた張本人と批判される


  • マクナマラ:国防長官 天才といわれ、若くして国防長官の位につき、ケネディを支えた。
    第二次世界大戦中はカーティス・ルメイの部下として、日本攻撃の作戦に功績があったとされる

  •  カーティス・ルメイ:アメリカ合衆国の軍人。最終階級は空軍大将。;第二次世界大戦では3月10日に東京大空襲を指揮し、3時間で、日本は死者行方不明含め10万人以上を殺害し、被災者100万人以上、約6平方マイル内で25万戸の家屋が焼失させた。
    1964年12月7日に入間基地(旧ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章が授与された
    理由は日本の航空自衛隊育成に協力があったためである。12月4日の第1次佐藤内閣の閣議で決定された
     しかし、日本国民を10万人も一瞬に殺した無差別攻撃の直接の責任者に、勲章を与え賛美するという卑屈な日本政府の態度には激しい怒りを覚える。果たしてこのような非道な政府が地球上に存在したであろうか?佐藤首相はノーベル賞まで受賞している。はらわたが煮えくり返る。

  •  オレグ・ペンコフスキー: コードネーム「ヒーロー」と呼ばれる、ソ連のスパイ。
     アメリカにソ連の最高機密を長年にわたって流し続けたスパイ。

  •  彼がスパイ行為を働くようになった動機は、彼がそれのソ連の現状に深く絶望していたことと、さらに直接的には彼の父親がスターリンのために殺害されたことに激しい怒りを覚えたことが原因であったといわれている。
     アメリカ政府は彼の長年にわたる高度な情報をもとにソ連の 内情を知ることができたと同時に、キューバ危機に際しては正確な対応をとることができたと言われている。

  •  ワシリー・アルビーポフ:ソ連の潜水艦の副艦長、アメリカの浮上勧告の核魚雷の発射に前のめりになる艦長を宥め、核魚雷の発射を思いとどまらせ、核戦争の勃発を防いだ。



キューバ危機の鐘は鳴る
  1. 第1日  1962年10月16日、アメリカのスパイ偵察機 U 2からキューバに核ミサイル基地が建設されつつあることが報告された。ケネディは直ちに xcom の会議を招集し検討を対策を検討した。 アメリカのスパイラルのもたらされた核ミサイルの情報と合致し、 アメリカの安全保障の命から極めて脅威であることは認識された。

  2. 第2日 キューバに面するフロリダのアメリカ軍基地の 防衛能力を飛躍的に増強されることが実施された。

  3. 第3日 XCOMM最高の機密とすると同時に様々なケースが討論された。 空軍の参謀総長であるカールス・ルメイは先制攻撃を仕掛け、建設中のキューバの吉を徹底的に破壊することを強力に主張する。 一方アメリカが強行に先制攻撃を仕掛けた場合、ソ連はドイツで報復攻撃に出ることが予測される。そのような場合にヨーロッパのみならず、全世界的に核戦争になることも予測される。ルメイはそれでも、ソ連の反撃はそれほどのものではないと主張する。シューブ海兵隊総司令官は「自分の邪魔なミサイルは壊すだけのこと」とこともなげに言い放つ。

  4. 第4日
  5. 第5日  ケネディは中間選挙のためにシカゴにいたが仮病を使ってワシントンに帰還する。マクナマラは打開策として海上封鎖を提案する。海上封鎖自体はは戦闘行為ではあるが、苦肉の策としてケネディに支持され、準備に取り掛かるように指示が出される。
     ケネディは妻と子供にワシントンを離れるよう促すが 、ジャクリーヌはケネディとともにワシントンに残ると主張しワシントンを去ることは断念する。

  6. 第6日
  7. 第7日  ケネディは全米の生中継でアメリカが直面する危機について国民の理解を求め覚悟を促す。海上封鎖の実行は二日後とする。 同日オレグ・ペンコフスキーがモスクワで消息を絶ち、アメリカはソビエトからの情報は途絶えた。
  8. 第8日  フルシチョフはワルシャワ条約機構を招集し、臨戦態勢をとった。アメリカ国内はパニックとなり食料品の買いだめがおこり、核シェルターの準備で大騒ぎとなる。なお国防省の試算では核攻撃にさらされるであろう9200万人の内シェルターで守ることは出来るのは半数以下だと試算する。

  9. 第9日  海上封鎖が実施される。 ディフェンス・コンディションはレベル2に設定される

  10. 第10日   国連の安保理が開催される。 アメリカの国連大使はソ連の国連に対しミサイル基地をキューバに設置しているかどうかイエスかノーのいずれかで返答するように問い詰める。 U 2の航空写真も提示され 、ソ連は一挙に追い詰められる。

     国際世論の流れも大きく変化をする。バレーボールの国際大会がモスクワで行われ、日本チームが優勝した。東洋の魔女と称えられる。
  11. 第11日  ABC 特派員のスカリがソ連の大使館から 「ソ連が何等かの緒を模索しているのではないかと」情報をもたらす。 ケネディはこの情報の信憑性を確認させるとともに アメリカとしてどう出るべきか模索をする。

  12. 第12日  暗黒の土曜日 フルシチョフからトルコに配備されているミサイルの撤去が必要との条件が出される。 U 2機が撃墜される。

    ルメイは直ちに反撃を主張しアメリカ空軍は臨戦態勢をとる。まさに一発触発の危機である。 ルメイの部下であったマクナマラは『戦争というものは目的と手段が釣り合っていなければならない』と主張しあくまでも慎重論を唱える。

    ケネディはトルコのミサイル基地撤去することを約束し、ソ連がキューバからミサイルを撤去するならばアメリカは二度とキューバに攻撃を仕掛けないとの約束を大使館を通じて忠告する。そしてその返答を4時間以内に 設定をする。この間ソ連の潜水艦では核魚雷の発射準備がなされ潜水艦艦長は発射に前のめりになる中を感情がそれを押し止め情報の確認をさせる。
     また沖縄の読谷村のアメリカ軍基地では巡航ミサイル メースBの4基に発射命令が出されていた。この4基のうち一基はソ連向けに向けられ残り3機は別の国にむけられていた。担当者は4基のうち一基だけソ連で、後は別の国というのはおかしいとして確認が取られていた。後にこの発射命令は誤報であったされている。

     ケネディは誰にも相談せず独自の判断としてトルコの核ミサイルの撤去を命令した。

  13. 第13日  モスクワ放送がキューバのミサイルの撤去を報道し、周辺の海域からのソ連の船舶を帰還させるでも報道によってようやく危機は去った。
     かくして魔の息詰まるような13日間を経て世界は救われたのである。


背景と見どころ
 この映像の全編を通して感じたことは 、シビリアンコントロールが貫徹されていたことである。アメリカの民主主義には、部分的にはおかしいと思われるところもあるが、 この部分についてはアメリカの民主主義の確かなものを感じる。 日本ではかつて第二次世界大戦に至るまで 、アメリカ大統領が見せたような しっかりした統制は 見られなかったように思う。

 もう一点、この映像から学ぶべきところは、ケネディの確かな思想である。 ケネディが後日語ったとされる言葉は、大きな重みをもって我々の心に響く。それは、
「かつて世界大戦は些細な出来事と誤った判断の積み重ねで加速し世界に悲劇をもたらした。私たちは正しい情報と確固たる意志で行動しなければならないのだ。」

今、先制攻撃なの、核の傘に入るなど軽々しく議論がされているが、そのような人々は60年前のケネディのこの言葉を思い出してほしい。

キューバ危機の魔の13日間の間にはいくつかの本当に、間一髪の危機的な状況は横たわっていた。

もしソ連の原潜の副艦長のワシリー・アルビーポフが核魚雷の発射の確認をしないまま発射していれば、
 もし読谷村のアメリカ軍基地で、米軍の士官が巡航ミサイル メースBの発射の命令に不信感を抱くことなく、そのまま発射のボタンを押していれば、私たちの地球そのものが、その時点でなくなっていたはずである。



 この偶然の上に私たちの地球の存在が委ねられていたことを考えるだけでもぞっとする話である。このようなぞっとする話は今でも確実にそこらじゅうでころがっている。人類はいつまでこのようなバカなことを繰り返すのか。地球を破滅してもいいと叫ぶ議員を選んでもいいのか?いま日本人の選挙行動そのものが問われている!



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