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2022年6月12日日曜日

「ヒトラー 最期の12日間」:ヒットラーは自分を祭り上げ自分を見失った そして今プーチンもヒットラーの後を追う

「ヒトラー 最期の12日間」:神格化は人間性の否定の極致


「ヒトラー 最期の12日間」を観ました。個人崇拝、神格化を許した民族はいつか絶える
歴史映画館が時代の節目となる出来事を画いた映画を発掘し、時代背景と共にお贈りします。今回は「ヒトラー 最期の12日間」をお贈りします。 
  1933年に首相に指名され、政権をとって以来、1944年に至る11年間、彼はヨーロッパを蹂躙し続けた。その大義は、ユダヤ人と共産主義に対する計り知れない憎しみに貫かれている。彼が、そこまでの憎しみを抱く理由は一体どこにあるのだろうか。


映画の紹介
 1945年4月20日、ベルリン。敗色濃い中でヒトラーは攻撃を避けてドイツ首相官邸の地下要塞に退避していた。
 味方すら敗戦を疑うものはいなかったが、もはやヒトラーは正常な感覚を失っていた。
この時点で配下の将軍たちの間にも敗北は免れないとの認識に至っており、これ以上の犠牲を避けるために幾度も降伏を進言していた。しかしヒトラーはあれこれの希望的観測を述べ降伏を認めようとしないばかりか、更なる戦略を繰り出すが、もはや誰もそれを実行に移そうとしない。
 これは、日本で、御前会議で「もう人戦果を挙げてから」と決断を先延ばしにし、アメリカの攻撃のほしいままにさせた状況と極似している。

 戦争を唯一止めることができるのは、一義的にはドイツや日本のように仕掛けた仕掛けた側にありと考えるが、圧倒的に戦局を握っている側は、犠牲を最小限に抑えるために、終結する方策をとることが大切なことであることと考える。。



映画データ
【キャスト】
ブルーノ・ガンツ
ユリアーネ・ケーラー
アレクサンドラ・マリア・ララ
トーマス・クレッチマン
コリンナ・ハルフォーフ
ウルリッヒ・マテス

【スタッフ】
監督:オリヴァー・ヒルシュビーゲル
製作・脚本:ベルント・アイヒンガー
撮影:ライナー・クラウスマン

音楽:ステファン・ツァハリアス


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ストーリー
 この映画は、ドキュメンタリーであるので、ストーリーは基本的にはない。

あれだけ大きな犠牲を払っても成し遂げるべきものは一体なんだったろうか
 ベルリンが包囲されても、国民の生命等には何の関心もなく、ヒトラー自身の妄想とプライドだったことがヒットラーの独白から明らかにされる。
 労働者による国家社会主義(この用語は後に、『国民社会主義』に訂正されている)を掲げたナチスが、結局国家社会主義という理念は途中でどこかに吹っ飛んでしまった結果、第三帝国の妄想に燃える総統への個人崇拝、何よりも秩序と規律を重んじる組織の暴走が始まる。
 そしてアーリア民族の純血性、国民全体が運命共同体であるという一面的な押し付け、何の具体性もなく、単なるヒットラーの気違いじみた妄想であったことが全編を通して明らかにされる。
 ここにいうヒットラーの思想に人々はなぜこうも傾倒したのか。

 ヒットラーのいう、国民社会主義の理想とは一体何だったのか、そして民主主義の前提とは、国民一人一人が歴史を学び、真実を思い知る事からだと、痛いほどリアルに教えてくれる。

歴史は繰り返す。今また同じことが繰り返されている。
 ロシアのプーチンはウクライナにナチスの幻影を見て、その打倒を叫んで全世界の人々を飢餓のふちに追い込もうとしている。
プーチンの周辺から漏れ出てくる片言隻語に、「帝政ロシアの復活」が、聞かれるが、彼の理想や、思想がどんなに高大であったとしても、そのために世界中の人々を飢えに曝すことはどう考えても釣り合わない。

背景と見どころ
  ドイツと同じく戦争を仕掛け、敗戦してしまった点で同じ道筋をたどったといえる。指導者といえども、いや指導者だからこそ誤りを起こすものだ、われわれは疑ってかからねばならない。ヒットラーの言うように国民は指導者に全てを委任してはならない。国民の意志にから離れたならば、直ちに指導者を引きずり落とす勇気を持たねばならない。その勇気と仕掛けを確保する保証が民主主義なのだ。

歴史は繰り返す
 私たちに求められるのは、歴史を知り、解釈するだけではなく、自分の問題として、過去の過ちを繰り返さないよう行動することなのだ。私たち一人一人の責任において!




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2022年6月5日日曜日

ウィンストン・チャーチル  ヒトラーから世界を救った男:戦時下では妥協は許されなかった

ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男

「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」を観ました。
 歴史映画館が時代の節目となる出来事を画いた映画を発掘し、時代背景と共にお贈りします。今回は「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」をお贈りします。
 チャーチルが『世界を救った』英雄として美化されるが、ヒットラーとの戦いは歴史上ではほんの一瞬でしかなかったこと。
 戦後処理の舞台では、世界を自分勝手に捌いた冷酷な帝国主義者以外何物でもなかったことを見逃してはならない。

 私はこの映画を観るまでは、イギリスに対して偏見を持っていた。 イギリスという国はそもそも大英帝国の創始国で宗主国であり、世界に冠たる帝国を築いていた。
その植民地政策の中でしてきたことは一体何だったのかとても心から喜べるものではありません。 インドで何をしたか、中国で何をしたか、アヘンでもって中国に何をとしたか、中東で彼らは何をしてきたか、そしてアフリカで何をしたか、その悪逆非道にはとても良い感情を持てるものではない。

  しかし、それまでの数々の悪行を一旦忘れて、純粋にヒットラーに対してイギリスはどうであったかという歴史的評価をしなければならない。
第二次世界対戦前夜、全ヨーロッパはヒットラーに蹂躙され、 ほとんど壊滅的な状態にあったのは確かだ。 その中で、ソビエトとイギリスの二つだけがかろうじてヒットラーの侵略に耐えていたと言えるでだろう。

  チャーチルは徹底した反共主義者であったと言われるが、ヒットラーに対してだけは、相対的な意味で一定の進歩的な側面があったと言えるでしょう。

 以上の観点からチャーチルの役割をヒットラーとの闘いに限定をしてこの映画を見る限り、私は彼は確かなリーダーであった事実は評価せねばならない。
 しかし、この限定を外してしまえば、チャーチルは大戦後、『世界を救った』リーダとの評価には値しないと思います。


 絶体絶命の状況下での首相就任からダンケルクの戦いまで―伝説のリーダーの知られざる27日間を描く、 圧倒的迫力の映像と緊張感で描ききった第一級のサスペンス!
「あのヒトラーを怯えさせる男」と言われたカリスマ性、数々の名言で人々に希望を与える一方、癇癪持ちで酒癖の悪い人間臭さ・・・。

そんなチャーチルが、最大の国難に苦悩した27日間を、迫力の映像と緊張感をもって描ききる歴史エンターテインメント!
圧巻の名場面が、終盤の、チャーチル=ゲイリー・オールドマンによる、約4分間にもわたる演説シーン。息をのむ緊迫感で、観るものを痺れさせる!


映画の紹介
 本年度アカデミー賞2部門受賞作 主演男優賞(ゲイリー・オールドマン)、メイクアップ&ヘアスタイリング賞(辻一弘 他2名)


政界一型破りな男が、世界を変えた。 ダンケルクの戦いの裏で下された、歴史的決断とは──。
 メイクに200時間以上かけて外見も内面もチャーチルになりきった。

名優ゲイリー・オールドマンの、渾身の演技は必見!
そして、見事アカデミー賞を獲得した特殊メイクアーティスト 辻一弘は、一躍、時の人に!

ゲイリー・オールドマンが、「彼が自分をチャーチルにしてくれるのであれば、演じられる」と、
辻一弘に直々にオファーしたというエピソードは、今年の映画界の話題の、間違いなくひとつになった。



映画データ
【スタッフ】
監督 :ジョー・ライト(『プライドと偏見』『つぐない』)

脚本・製作 :アンソニー・マクカーテン(『博士と彼女のセオリー』)
プロデューサー :ティム・ビーヴァン(『裏切りのサーカス』『ベイビー・ドライバー』)他
撮影 :ブリュノ・デルボネル(『アメリ』『ハリー・ポッターと謎のプリンス』)
プロダクションデザイナー :サラ・グリーンウッド(『つぐない』『美女と野獣』)
衣装 :ジャクリーン・デュラン(『アンナ・カレーニナ』『美女と野獣』)
音楽 :ダリオ・マリアネッリ(『プライドと偏見』『つぐない』)

特殊メイク、ヘア&メイクデザイン(ゲイリー・オールドマン):辻一弘(『グリンチ』『PLANET OF THE APES/猿の惑星』)

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ストーリー
 1940年、第二次世界大戦初期。ナチス・ドイツの勢力が拡大し、フランスは陥落間近、イギリスにも侵略の脅威が迫っていた。 連合軍がダンケルクの海岸で窮地に追い込まれるなか、ヨーロッパの運命は、 新たに就任したばかりの英国首相ウィンストン・チャーチルの手に委ねられた。 度重なる失策から“政界一の嫌われ者"であったチャーチルは、政敵たちに追いつめられながら、 ヨーロッパのみならず世界にとって究極の選択を迫られる。 ヒトラーに屈するのか、あるいは闘うのか・・・。


背景と見どころ
 日本とイギリスのチャーチルと比べた場合に、チャーチルと妻との会話と同じような対等な会話が日本でなされていただろうか、まだ国王とチャーチルの会話と同じような会話は天皇と東条英機との間では決してなされなかったであろうこと等、決定の瞬間よりも、決定に至るまでの過程がもっと大事ではなかったかと思える。

 また日本の当時のような単細胞的で剛直なものの考え方は、国民の命を握るキーマンであれば尚更あってはならないことだと思う。
 国が戦争のような極限の状態に置かれた場合に、権力者を突き動かすのは結局のところ、国民一人一人の力に依存すると思う。だからこそ、

国民一人一人の考えが、トップの人間に行き届く在り方が民主主義なのではないだろうか。
 




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2022年4月30日土曜日

映画「アメリカが最も恐れた男 "プーチン"」この男だけではなく歴史と背景を見る必要がある

アメリカが最も恐れた男 "プーチン"

  これを徹頭徹尾アメリの主張で貫かれている。題名も「アメリカが最も望んだ男プーチン」とでも変えた方がいいのかも知れない。但し副題として「アメリアの思惑に収まらなかった男」という文言を付け加える必要がある。
 アメリカは今まで何をやってきた?ヴェトナムで、イラクで何をしてきた? 今更ロシアにものを言えた資格があるのか?という声が聞こえてくる。
 アメリカはロシアにものをいう資格はない。しかし、残念ながらそれでも、ロシアに交渉に直接出向く必要がある。バイデン自身が、さんざん戦争の火種をばらまいてきた国の大統領として、導火線に火をつけたプーチンと直接会って戦争を止める義務はある。地球に対し、人類に対して!

 2022年4月、世界中は一人の男の一挙一動を息をつめて見つめている。その男の名は「ウラジミール・プーチン」
   今彼はウクライナに対する侵攻を繰り広げている。

 この侵攻のやり方は、彼の父親や多くの人々が苦しんだナチ・ヒットラーのやり方そのものである。

まさに歴史は繰り返す。 このブログで取り上げたナチのやり方を再現してください。『「ヒトラー 最期の12日間」


映画の紹介
  ソ連の崩壊後、決して目立つ存在ではなくカリスマ性も無かったプーチンが政権を引き継ぎ、自国の誇りを取り戻すべく、あらゆる手段を使い強いロシアを作り上げた。それから、今日の残酷な独裁者と呼ばれるに至るまで、アメリカの安全保障にとって最も重大な脅威と恐れられる所以に迫る。


映画データ
原題:America's Greatest Threat Vladimir Putin 製作:2018
リンカーンスクエアプロダクション(ニューヨーク州 A&E TelevisionNetworks)

プーチンの生まれ育った環境

 レニングラード攻防戦
 プーチンの生まれる前の1941年9月から1944年1月までの予約900日にわたってヒットラーとの間で凄惨な戦いが繰り広げられている。これをここで取り上げた理由は、プーチンの両親もこのレーニングラードの攻防戦を闘い生き抜いている。おそらくプーチン自身もこの戦いについてはつぶさに聞いていただあろうし、トラウマのように彼の精神構造に大きな影響を及ぼしているであろうことから、敢えてここで取り上げる。

 ヒットラーはレーニングラード現在のサンクトペテルスブルグに侵攻し、激しい攻防戦を繰り広げた。ソビエトは当初戦略のまずさなどから、押し込まれたものの、レーニングラード守備隊は徹底的に耐え耐え抜いている。 ソビエト政府の発表では市民は100万人を超える死者が出たと言われている。また、その死者の97%は餓死だとも言われている。 レニングラードに侵攻したドイツ軍は徹底した包囲作戦を取り 、市内の周囲に鉄条網と電気ワイヤーを設置し、住民の脱出を物理的に阻止し、徹底的な飢餓作戦をとった。 ヒットラーは「サンクトペテルスブルグを地上から削り取ることを決断したと表現し、この都市が跡形もなく消え去るということを目論んだ。 その後包囲と封鎖は更に強化され多くの市民が餓死するに至った。それにも関わらずドイツ軍の封鎖は続き、レニングラードの街角は死体で溢れるようになった。市内は飢餓地獄が訪れ、死体から人肉を食らう凄惨な状況が常態化するまでに至った。この悲惨な状況がしばらく続いたが、1942年にはようやくモスクワでの勝利があり、レニングラードの防衛にも手が回るようになった。 このような激闘の末1943年1月17日にはレニングラードの解放が宣言された。これを機に独ソ戦は大きな転換期を迎えることになった。ドイツ軍は敗走を重ねることとなった。

プーチンの生い立ち
 彼は1952年レニングラードの共同住宅で生まれた。両親が42歳の時の子供である。
 彼の子供の時代のソ連は、戦争の傷痕も癒えておらず、全体が非常に貧しく、彼自身も貧しい生活で暮らしていた。
  レーニングラードで見聞きしたナチスの無慈悲で、情け容赦ないナチのやり方を肌感覚で学んだであろうし、それがその後の者の味方のベースになっているであろうことは想像に難くない。
 そして大学卒業すると憧れのKGB採用された。
 それから10年後、東ドイツのドレスデンに海外勤務となった。しかし赴任してからまもなく1989年ベルリンの壁は崩壊し、彼も仕事を失った。彼はおそらく大衆の激しい流れを目撃し、同時に民主主義や大衆運動に激しい憎しみを感じたであろう。
 レーニングラード大学戻った、プーチンは市長に選ばれたサブチャックに見出され、副市長に抜擢しされた。都市の名前もレーニングラードからサンストペテロブルグに改名された。このようにして、プーチンの周りから社会主義、民主主義色が消えうせ、復古色が濃くなっていく。

プーチンはこの時から政界に進出することとなる。おそらくプーチンはこの辺りから野心むき出しの、冷徹な策略家に偏向することになっていったろう。やがてエリツィンに見出され、エリツィンに忠誠を誓い、汚い仕事を請け負いエリツィンに取り入り、エリツィンの信頼を得たプーチンは大統領に上り詰める。



背景と見どころ
この映画を見てプーチンというものがどのような男かということがわかった。
  1. 彼は育ちが悪い
  2. 彼は性格的に陰険だ
  3. 彼は KGB 時代にスパイとしての教育訓練を受けそれを確実に身につけている 彼はスパイの方法論は学んだがいわゆる学問としての教養は身につけていない
  4. ロシア大帝国時代の 国家の力を再現したいと考えている
  5. アメリカの民主主義思想が脆弱なものであると考えている。
  6. アメリカと同じ力に同じような評価を受けるこにしたいと考えている
  7. ブッシュやトランプが彼を評価したが、プーチンは逆に彼らを見下しているまた足元を見透かしている
  8. プーチン個人の問題ではないが 、プーチン自身も選挙の洗礼を受けて大統領になっている。 私たちが考えなければならないのは、民主主義が形骸化されてされた時には、それが隠れ蓑となりとんでもない事態を生み出すということである。

アマゾン・プライムのドキュメンタリー

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