2022年4月30日土曜日

映画「アメリカが最も恐れた男 "プーチン"」この男だけではなく歴史と背景を見る必要がある

アメリカが最も恐れた男 "プーチン"

  これを徹頭徹尾アメリの主張で貫かれている。題名も「アメリカが最も望んだ男プーチン」とでも変えた方がいいのかも知れない。但し副題として「アメリアの思惑に収まらなかった男」という文言を付け加える必要がある。
 アメリカは今まで何をやってきた?ヴェトナムで、イラクで何をしてきた? 今更ロシアにものを言えた資格があるのか?という声が聞こえてくる。
 アメリカはロシアにものをいう資格はない。しかし、残念ながらそれでも、ロシアに交渉に直接出向く必要がある。バイデン自身が、さんざん戦争の火種をばらまいてきた国の大統領として、導火線に火をつけたプーチンと直接会って戦争を止める義務はある。地球に対し、人類に対して!

 2022年4月、世界中は一人の男の一挙一動を息をつめて見つめている。その男の名は「ウラジミール・プーチン」
   今彼はウクライナに対する侵攻を繰り広げている。

 この侵攻のやり方は、彼の父親や多くの人々が苦しんだナチ・ヒットラーのやり方そのものである。

まさに歴史は繰り返す。 このブログで取り上げたナチのやり方を再現してください。『「ヒトラー 最期の12日間」


映画の紹介
  ソ連の崩壊後、決して目立つ存在ではなくカリスマ性も無かったプーチンが政権を引き継ぎ、自国の誇りを取り戻すべく、あらゆる手段を使い強いロシアを作り上げた。それから、今日の残酷な独裁者と呼ばれるに至るまで、アメリカの安全保障にとって最も重大な脅威と恐れられる所以に迫る。


映画データ
原題:America's Greatest Threat Vladimir Putin 製作:2018
リンカーンスクエアプロダクション(ニューヨーク州 A&E TelevisionNetworks)

プーチンの生まれ育った環境

 レニングラード攻防戦
 プーチンの生まれる前の1941年9月から1944年1月までの予約900日にわたってヒットラーとの間で凄惨な戦いが繰り広げられている。これをここで取り上げた理由は、プーチンの両親もこのレーニングラードの攻防戦を闘い生き抜いている。おそらくプーチン自身もこの戦いについてはつぶさに聞いていただあろうし、トラウマのように彼の精神構造に大きな影響を及ぼしているであろうことから、敢えてここで取り上げる。

 ヒットラーはレーニングラード現在のサンクトペテルスブルグに侵攻し、激しい攻防戦を繰り広げた。ソビエトは当初戦略のまずさなどから、押し込まれたものの、レーニングラード守備隊は徹底的に耐え耐え抜いている。 ソビエト政府の発表では市民は100万人を超える死者が出たと言われている。また、その死者の97%は餓死だとも言われている。 レニングラードに侵攻したドイツ軍は徹底した包囲作戦を取り 、市内の周囲に鉄条網と電気ワイヤーを設置し、住民の脱出を物理的に阻止し、徹底的な飢餓作戦をとった。 ヒットラーは「サンクトペテルスブルグを地上から削り取ることを決断したと表現し、この都市が跡形もなく消え去るということを目論んだ。 その後包囲と封鎖は更に強化され多くの市民が餓死するに至った。それにも関わらずドイツ軍の封鎖は続き、レニングラードの街角は死体で溢れるようになった。市内は飢餓地獄が訪れ、死体から人肉を食らう凄惨な状況が常態化するまでに至った。この悲惨な状況がしばらく続いたが、1942年にはようやくモスクワでの勝利があり、レニングラードの防衛にも手が回るようになった。 このような激闘の末1943年1月17日にはレニングラードの解放が宣言された。これを機に独ソ戦は大きな転換期を迎えることになった。ドイツ軍は敗走を重ねることとなった。

プーチンの生い立ち
 彼は1952年レニングラードの共同住宅で生まれた。両親が42歳の時の子供である。
 彼の子供の時代のソ連は、戦争の傷痕も癒えておらず、全体が非常に貧しく、彼自身も貧しい生活で暮らしていた。
  レーニングラードで見聞きしたナチスの無慈悲で、情け容赦ないナチのやり方を肌感覚で学んだであろうし、それがその後の者の味方のベースになっているであろうことは想像に難くない。
 そして大学卒業すると憧れのKGB採用された。
 それから10年後、東ドイツのドレスデンに海外勤務となった。しかし赴任してからまもなく1989年ベルリンの壁は崩壊し、彼も仕事を失った。彼はおそらく大衆の激しい流れを目撃し、同時に民主主義や大衆運動に激しい憎しみを感じたであろう。
 レーニングラード大学戻った、プーチンは市長に選ばれたサブチャックに見出され、副市長に抜擢しされた。都市の名前もレーニングラードからサンストペテロブルグに改名された。このようにして、プーチンの周りから社会主義、民主主義色が消えうせ、復古色が濃くなっていく。

プーチンはこの時から政界に進出することとなる。おそらくプーチンはこの辺りから野心むき出しの、冷徹な策略家に偏向することになっていったろう。やがてエリツィンに見出され、エリツィンに忠誠を誓い、汚い仕事を請け負いエリツィンに取り入り、エリツィンの信頼を得たプーチンは大統領に上り詰める。



背景と見どころ
この映画を見てプーチンというものがどのような男かということがわかった。
  1. 彼は育ちが悪い
  2. 彼は性格的に陰険だ
  3. 彼は KGB 時代にスパイとしての教育訓練を受けそれを確実に身につけている 彼はスパイの方法論は学んだがいわゆる学問としての教養は身につけていない
  4. ロシア大帝国時代の 国家の力を再現したいと考えている
  5. アメリカの民主主義思想が脆弱なものであると考えている。
  6. アメリカと同じ力に同じような評価を受けるこにしたいと考えている
  7. ブッシュやトランプが彼を評価したが、プーチンは逆に彼らを見下しているまた足元を見透かしている
  8. プーチン個人の問題ではないが 、プーチン自身も選挙の洗礼を受けて大統領になっている。 私たちが考えなければならないのは、民主主義が形骸化されてされた時には、それが隠れ蓑となりとんでもない事態を生み出すということである。

アマゾン・プライムのドキュメンタリー

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2022年4月26日火曜日

シチズンフォー・ スノーデンの暴露:世界中のすべての人々のありのままの全裸の姿がアメリカの諜報機関により衆目に曝されている

シチズンフォー スノーデンの暴露:世界中のすべての人々が見ておくべき映像

アメリカの情報機関が世界中の人間をスパイしていたということがCIA職員によって暴露され、世界に衝撃が走った
  このドキュメンタリ映画は世界中の人間をスパイしている事実を突きつけたスノードンの行動を追ったものである。映画全体に走る緊迫感とスノードンと彼を支えるジャーナリストたちの自由のために闘う行動に圧倒される。今や地球上のすべての人々が、丸裸にされている。アメリカのCIA=NSAは、彼らのデータベース上で、地球上のすべての人々の裸像を彼らが好きな時に見ることができている。そして彼らが好きな時に狙った相手を思うがままに料理できる手立てを持っているのだ。

 もしスノードンがいなければ、我々は自分の全裸が耳目に曝されていることなど知らなかったかもしれない。 今闘われているロシアとウクライナの戦争の実はアメリカの諜報機関のCIAやFSAのバーチャルな世界では、裸の戦士や軍人の戦闘風景を見ているのかも知れない。


映画の紹介
 スノーデンの暴露によって世界中が大騒ぎになった。ドイツの首相メルケルはアメリカに抗議したりし、アメリカの信頼は地に落ちた。一方日本といえば、日本の情報をアメリカがスパイをしていたことに何も抗議もせず、日本のマスコミもこれに対し何も関心を示さなかったように思う。しかし、おそらく日本のこうした態度は、世界中から見て「日本の国主権が犯されようと何も関心も示さない。日本というのはおよそ権利意識の低い国だ」と見られたのではないだろうか。

映画データ
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ストーリー(映画の紹介文)
  イラク戦争についてのドキュメンタリー映画で高い評価を得る一方、米国当局からの監視や妨害を受けてきた気鋭の映画監督ローラ・ポイトラスは、2013年初め、“シチズンフォー”と名乗る人物から暗号化されたメールを受け取るようになる。それは、NSA(国家安全保障局)が米国民の膨大な通信データを秘密裏に収集している、という衝撃的事実を暴露するものだった。ローラは“シチズンフォー”に会うため、旧知のジャーナリスト、グレン・グリーンウォルドとともに香港へ飛ぶ。そこでふたりを待っていたのは、元CIA職員エドワード・スノーデン。彼の口から明かされた驚くべき真実とは―。なぜ彼は自らの身の危険も顧みず、この告発を決意したのか―。そして、緊迫した状況の下、ローラとグレンはいかにしてジャーナリストとしての使命を果たす戦いに挑んだのか―。


背景と見どころ
  •  CIAの情報の集め方、処理の仕方、利用の仕方などが、断片的であるが、比較的詳しく紹介されていた。
  • スパイ活動の広がり
  • ジャーナリストたちの反応とタフな戦い方
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2022年4月25日月曜日

三蔵法師・玄奘の旅路: この出来事は歴史上どんな意味があったのか 

三蔵法師・玄奘の旅路:あの時代に、インドまで徒歩で行こうとすることは、言葉では表せない出来事だった。

中国映画のDVD「三蔵法師・玄奘の旅路」を観ました。すばらしい映画です。感動しました。

 これはいいという歴史映画を探しておすすめするサイトです。

  ロシアによるウクライナの進行が止まらないこの背景には民族的な意識、歴史的な背景などが存在すると言われている。 そしてもう一つ大きな要因として宗教的な背景が存在している

 先日もロシア正教会のキリル宗教画ロシアのウクライナの侵攻を支持するとのべ、ロシアのプーチン大統領との親密な関係を演出している。 一方ではカトリックのフランシスコ教皇はキリル主教と予定していた会談を延期すると発表した。
 ローマ教皇がロシア正教会と何らかの話を持ち一刻も早く戦争を中止または停戦に持ち込むことが期待されていたにもかかわらず、結局のところローマ法王は何もアクションを起こすことなく静観を構えたものと考える。

  現在の抱える宗教問題は歴史始まって以来ずっと続いてきたもので、ユダヤ教徒Xキリスト教、キリスト教Xイスラム教徒の戦い等、宗教間では本来あるべからざる大量の殺人行為は神の名のもとに断行され現在も続いている。   この問題については、仏教も例外ではなく宗教間の争いは何の宗派とも有史以来続いてきた。

 ここで紹介する「三蔵法師玄奘の旅路」は 唐の時代に玄奘法師が天竺へ経典を得るための艱難辛苦の旅の物語あり、その結果だけで世界は変わるものではなかった。
 しかしながら彼の艱難辛苦の旅路で彼が持ち帰った法典は単なる法典だけではなく 仏教という教えが特にアジアの人々の心の中に浸透し、後々の時代になっても人々の世界観を変える要因の一つとなっているというその意味でこの出来事は非常に重要な歴史的なものだったと考えている。先人たちは偉かった。それに引き換え、今の人間がやっていることはなんだ。人間の『堕落』以外何物でもない。 人類はここで、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教など権力と結びつく前の、宗教の原点に戻って、世界を見つめ直す時ではないだろうか。


映画の紹介
 これは玄奘が唐の都の長安を出発してから、長安に帰着するまでの玄奘の足跡を記録したものである。完全な記録映画ではないため、どの程度史実に忠実出るかはわからぬが、細かい点が別として概ね、忠実に描写されたものと考える。


映画データ
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ストーリー
  玄奘―三蔵法師は長安からブッダの国、インドへと仏典を求め旅立つ。多くの出逢いと別れを経て、灼熱のタクラマカン砂漠を越え、ついにインドのナーランダー僧院へ辿り着き仏教の研究に勤しむ。多くの仏典を中国に持ち帰った時、彼は齢50歳を過ぎていた。
627年8月 玄奘は天竺へ 今日点を取りに行くため東の都今日はもう出発した
629年    彼は当時の西行きの高昌に到達し、高昌王の歓待を受け数ヶ月間滞在する。
        彼はその時に高昌王に留まるように説得されたが、王の誘いを断り旅を続ける。

 高昌:中国の南北朝時代から唐代にかけて現在の新疆ウイグル自治区トルファン市に存在したオアシス .

631年    ナーランダ僧院に到着した。 そこで5年ほど修行を行い、
        『般若心経』を会得する
641年    天竺における仏法大会 仏の教えの伝道者としての地位を認められる
642年6月 唐への帰途につく
645年   長安に帰着
        法典の整備と翻訳2従事する
664年   62歳で逝去する

背景と見どころ
 この映画は現場が艱難辛苦の末天竺から頭に交点を持ち帰ったことの異議を余すところなく表現していることである
 冒頭にも述べたように現代において宗教的な混乱、行き詰まり等が議論されている中で、仏教が諸々の宗教の中で、ある種の際立った存在意義を示している。
 この映画は娯楽映画ではあるが、比較的仏教の教義にも触れ、人々に仏教とはなんぞやということを理解する助けにもなると思う。
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2022年4月22日金曜日

『ロマノフ王朝の滅亡』: ある白系ロシア軍の青年将校の回想

ロマノフ王朝の滅亡

サンストローク ロマノフ王朝の滅亡
2時間38分
2014
1920年11月。クリミア半島では革命勢力の赤軍と反革命派の白軍が戦い合ったが、白軍は敗れ、白軍の将校数万人は1カ所に集められ、自由を奪われた彼らの間では絶望的な空気が漂うように。


映画の紹介
  これは『ロマノフ王朝の滅亡』という邦題ではあるが実際の映画の内容は1918年から1922年までの間のソビエトのモスクワ政府とウクライナ自衛軍との間に起こった戦争の物語であり、ロマノフ王朝が滅亡した後の話であり、直接的にロマノフ王朝の滅亡とは関係はない。この戦争でウクライナ軍はソビエト軍に敗れ、多くの将校が捕虜となり、クリミアのに集められ絶望的な日々を送る。

この物語の主人公はその白軍の将校で、休暇中に遭遇したウクライナの土地の少年と美しい女性との間の出来事の回想である。結局何が言いたいのか分からない映画だ。ロシア映画の伝統的思考方法か。




映画データ

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背景と見どころ
 ロマノフ王朝が倒れて、後のソビエト赤軍と王朝に忠誠を誓う反逆軍の物語である。ソビエト軍に敗れたウクライ軍の将校はクリミアに集められる。この映画はそこに集められた将校の回想の物語で、歴史の一ページを飾るほどのものではなく、青年将校の貴婦人との出会いと一夜の契りを画いたもので、難の教訓も見出せない。




2022年4月19日火曜日

映画「ヒトラーに屈しなかった国王」:勝手に副題「プーチンに屈しなかった国」

ヒトラーに屈しなかった国王(アマゾン・プライム)

映画「ヒトラーに屈しなかった国王」を観ました。すばらしい映画です。感動しました。
ヒットラーの脅迫に怯えながらも、国家の威信と自らの運命を自らの力で切り開くという選択をとったノールウエー国王、民族の誇り高い闘いを画いた素晴らしい映画です。
今回はロシアのウクライナ侵攻が現実に繰り広げられているがゆえに一層、胸を打つもがあります。
私は副題として「プーチンに屈しなかった国」とすればいいのではと思うくらい状況はよく似ています


映画の紹介
 1940年ヨーロッパはヒットラーが、蹂躙しその矛先はノールウエーにも及んでいた。
 当時のノルウェーは立憲君主制をとり、ホーコン7世を国王にいただく主権国家であった。 ヒットラーはそのノルウェーに対して イギリスと手を切りドイツの庇護のもとに置くようにという要求を突きつけてきた。

ヒットラーへの従属か、あるいは独立した国家をとるか、そしてヒットラーと戦うかの瀬戸際に立たされていた。

この物語は、 ギリギリの選択を迫られた国王が 悩み迷いながらもノールウエーの国家のためにドイツと戦うという、重い決断を下す過程を描いたものである。





映画データ
(C)2016 Paradox/Nordisk Film
Production/Film Väst/Zentropa Sweden/Copenhagen Film Fund/Newgrange Pictures
邦題: ヒトラーに屈しなかった国王(字幕版)
時間: 2時間10分
製作年:2016
監督 エリック・ポッペ
出演 イェスパー・クリステンセン, カール・マルコヴィクス, アンドレス・バースモ・クリスティアンセン
ジャンル ドラマ, 外国映画, 軍隊・戦争
オーディオ言語 Norsk Bokmål
歴史映画はアマゾンプライムで

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ストーリー
 1940年ナチス・ドイツ軍はノルウェーの首都オスロに侵攻。ドイツ軍の攻撃に交戦するノルウェー軍だったが、圧倒的な軍事力によって、主要な都市は相次いで占領される。

 ヒットラーは立憲君主制をとっていたノールウエーに、傀儡政権の樹立を画策する。
 降伏を求めるドイツ軍に対し、傀儡政権はそれを受諾しようとする。 ノルウェー国王はその政権を認めず、ヒットラーの要求を拒否する。

 ヒットラーは 要求の拒否を理由に、ノールウエーの全面侵攻を開始する。ノルウェー国王のホーコン7世は、政府閣僚とともにオスロを離れる。
 一方、ヒトラーの命を受けたドイツ公使は、彼なりの「誠意と善意」で国王にヒットラーの要求を受諾売るよう説得を試みる。ドイツ公使と対峙した国王は、ナチス・ドイツに従うか、国を離れて抵抗を続けるか、家族のため、国民のため、国の運命を左右する究極の選択を迫られるー。



背景と見どころ
 1940年ヒットラーはドイツ民族の保護という名目でヨーロッパの様々な国々に侵略を始めました。
  2022年3月ロシアのプーチンは、ウクライナの東部地方におけるロシア系住民の保護という名目でウクライナに侵攻を開始しました。しかし結局のところロシアは東部にとどまらずウクライナの首都キエフにまで手を伸ばし、ウクライナの東部及び主要都市において殺戮と非人道的な行為に及んでいます 。

  この間7、80年の歳月の開きがあるわけですが、ヒットラーとプーチンの類似性に戦慄を覚えざるを得ません。 このようなことがまかり通る通れば 国際社会は崩壊せざるを得なくなります。今核戦争の危険も孕んで人類は重大な 岐路に立たされていると言われはならないでしょう。私たちは誰にも犯されてはならない「生存する権利」を強く要求するものであります。





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2022年4月9日土曜日

「バトルフィールド クルーティの戦い」ロシアは100年前にもウクライナと戦闘をしていた

「バトルフィールド クルーティの戦い」


 今ロシアのウクライナ侵略で激しい戦闘が行われています。
 約100年前、ソヴィエト軍がウクライナに侵攻しました。現象的には全く同じ様相を呈いていますが、歴史的背景は全く違います。その当時はウクライナにはコサックの流れが横たわっており、当時のウクライナの人々の思想には、むしろ保守的な傾向が強く、ソビエト中央政府には反感を持っていたといえるでしょう。
 ウクライナの若き学生たちで構成された400名から成る字英軍と4000人から成るソビエトのボルシェビキ軍との壮絶な戦いは、今のロシアーウクライナの戦争にいやがうえにもダブって、ウクライナ軍の士気を高めます。

 1918年。ロシア帝国崩壊とともに独立したウクライナ人民共和国にムラヴィヨフ率いるソビエト軍の侵攻がはじまった。この映画では、ソ連の侵攻の意図がはっきりしませんし、ソ連軍が一方的に悪者にされているきらいはあります。

 若き学徒の英雄的な戦いは純粋で人々の心に響くものがありますが、彼らの戦いが決して歴史的に見れば、前向きの役割を果たしているわけではありません。彼らにはその責任はないのですが、大きな歯車の中で翻弄された多くの若者が命を落とした事実を忘れることができません。


映画の紹介

 この映画は我々に、物事を単に情感的にだけ見てはいけないことを教えてくれます。
一筋縄ではいかない情勢の絡み合いをきちんと解きほぐしてみる歴史的な冷徹な判断が要求されている。


映画データ
エヴヘニー・ラマフ
アンドレイ・フェディンチク
ナディア・コヴェルスカ
ヴィタリー・サリー
オレクシー・トライテンコ
監督:アレクセイ・シャパレフ
脚本:コスチャンティン・コノバロフ、アレクセイ・シャパレフ
プロデューサー:アンドリー・コルニエンコ
撮影 セルゲイ・ピブネンコ 編集 フランチェスコ・マンジッティ
美術 ヴラド・オドゥデンコ 音楽 マルコ・モリーニ
ストーリー
 1918年。ロシア帝国崩壊とともに独立したウクライナ人民共和国にムラヴィヨフ率いるソビエト軍の侵攻がはじまった。大学生の青年・アンドリーは学徒部隊として志願する仲間達を見送りながら、自らを平和主義者だと主張し出征を拒否していた。

 しかし、軍人である父と兄を持つアンドリーはある晩、ソビエト軍侵攻の記録フィルムを観せられ、学徒志願を決意する。

 数日間の短い軍事訓練を受け、戦地へと送られる若き新兵たち。その行先には首都・キエフ侵攻を狙うムラヴィエフ大佐の軍勢が待ち受けていた。4000人のソビエト軍と、僅か400人のウクライナの兵士たち。祖国の運命を賭けた激戦がはじまっ



背景と見どころ
  今この映画は現在進行中の情勢の中で、大いに見直されている。今、この戦争に命を投げ出して加わった若者たちが英雄視されているが、歴史的には彼らに英雄的な評価を与えることが許されているわけではない。それはその若者達に責任があるわけではないが、彼らをだまして戦争に駆り立て、戦争により巨万の富を築く陰で民主主義をせせら笑う人々が責任を負わなばならない。この映画ではボルシェビキとレーニンが悪者にされているが、本当にそうだろうか。歴史を深く学ぶことによって、その真実を知ることが今我々に求められている。



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